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トルコ支部からのレポート「トルコでのテロやクーデターを目の当たりにし世界平和について考える。」

2016年07月19日
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おはようございます 高木さと子です
南フランスのニースに続いて、トルコのイスタンブールでもクーデターが起きて多くの方が亡くなっています。
ニュースを見るたび、胸が痛みます。

今日は、現在トルコのイスタンブールに住んでいる
日本ハグ協会 紙芝居マイスターの山本佳代子さんからの
現地のレポートをそのまま掲載させていただきます。

クーデターのあと、かよちゃんとLINEでやりとりしました
「家の外で銃声や爆破音が鳴り響いていて本当に怖かった・・」と話していました
それでは、イスタンブールからのハグ特派員かよちゃんのレポートその1です。

はじめまして 山本佳代子です。
いま、イスタンブールに住んでいます。
知らない人も多いと思うので親日と言われるトルコと日本の歴史から。
遡ること1890年、エルトゥールル号に乗ってオスマントルコ帝国の使節団が来日。
明治天皇に拝謁した後帰国の途に就いたが、和歌山県串本町沖で同号は座礁し、581名が死亡。
串本町大島の住人が必死の救助にあたり、69名を救出。その後日本海軍の巡洋艦でトルコまで丁重に送った。

それから時は流れて1985年。
イラン・イラク戦争が激化する中、イラクがイラン(テヘラン)への空爆を開始。
当時テヘランには日本企業社員やその家族等250名がいた。
当時のオザル・トルコ大統領が「今こそエルトゥールル号の恩を返そう」と派遣を決断。
日本人をトルコ政府がトルコ航空を使って救出した。
エルトゥールル号とイラクからの邦人救出。
この2つの出来事は今でも日本とトルコの歴史を語る上で欠かせないものである。
トルコが今でも親日と言われる由縁は『困っている人を助ける』と言う当たり前の行動が起こした奇跡なのである。

 

そして100年近い時が経っても感謝の気持ちを持ち続け、
それを同じように命懸けの行動に移したトルコ人の勇気!
現代人が見習うべきことがこの2つの実話に集約されている気がしてならない。
エルトゥールル号の出来事が起きたのは今から130程前。

今より海外や外国人に対してどれほど閉鎖的だったのだろう?
未知の世界だったに違いない!

しかし言語、文化、容姿が違えど心は通じあっていたのだ。相手を助けたい一心で…。


このような素晴らしい歴史がある一方で今世界のあらゆる場所でテロが起き、内戦が起きたり、
日本だと考えられないような悲しい争いが繰り広げられてる。
もはや日本も遠い国のことではないと強く感じている。
話しは少し逸れるが今後日本でも少子化にともない外国人の雇用も増えるだろう。

そうした時、言語、文化、宗教の異なる人々とどう共存するのか?
違うから受け入れない?orお互いに違うものとして受け入れる?
考え方次第で大きく変わることは明らかである。

これ以上犠牲者を出さないためにも世界規模で取り組むべき1番の課題ではないだろうか?

今トルコでは先日の悲しい出来事の犠牲者をおくる会がいたるところで行われている。
普段はこの時期素晴らしい晴天と美しい青い海が広がるこの地は
どことなくシーンとしていて、悲しげ…

トルコ生活が3ヶ月経過した今、たくさんの優しさや笑顔をトルコ人が私に与えてくれました。
お喋り好きで、世話好きで、ビックリするくらい親切な人々だからこそ
異国の地で寂しいと感じることは一切なかった。

私は上の2つの実話でいうとエルトゥールル号。
次は私が恩返しする番なのだ。
1人1人の一歩は小さくても世界中の人が踏み出せば世界平和も夢ではないはずである。

はぐはぐ。

 

 

 

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